「真のプロフェッショナル」と呼べる人ってこんな人!
「真のプロフェッショナル」と呼べる人ってこんな人!
私自身もプロフェッショナルGKコーチを経験しました。
まあ今でもプロなんですが、その中で「プロ」の中でもいろんなレベルがあり、どうサバイバルしていくかがポイントになっています。
私自身は「結果が全て」と感じており、その中でいかにして結果を出すのか。
また、結果を出し続けるためにはどうしたらいいのか。
その部分を常に意識していますが、今回超一流の話をお聞きしましたので、ぜひご覧ください。
自分のスタイル
自分のスタイルをどう活かすのが、最も選手とチームにとってプラスに働くのでしょう?
時に選手は監督によって与えられた戦術と役割が、自身のスタイルと違っていると感じる場合があります。
そんな時に選手はどういう考え方で自らを表現し、同時に結果を導き出すのでしょうか?
フィリップ・トルシエ
筆者は長い取材人生の中で非常に強く印象に残った指導者に2002年日韓W杯で、日本代表を指揮したフィリップ・トルシエ監督がいます。
赤鬼と称されたほど、真っ赤になって怒り、スター選手を持ち上げる日本のメディアとも対立しました。
実際に中村俊輔を代表から外しました。
一方で日韓大会では日本をベスト16に導き、ホスト国としての役割を果たしたことも事実です。
ただ今となってみると、その強烈なキャラクターがサッカーファンの脳裏に残っていることでしょう。
ある有名な俳優さん
実は当時はいよいよ日本にW杯が来るということで、サッカーファンを自称するありとあらゆる著名人がメディアに登場した。
そんな折、筆者にもある有名な俳優さんを取材してほしいという依頼が舞い込みました。
その方の事務所にも許可をいただいていないので、あくまでも【ある俳優さん】として話を進めようと思います。
その俳優さんは地方都市出身で、あるJ2のクラブの熱烈なサポーターとして知られています。
自らもサッカーを楽しみ、生涯プレーヤーでした。
本業では渋い脇役で頭角を現し、時を経て自らが主役を務めたり、CMに起用されるほどにお茶の間でも知られる存在になりました。
そしてその存在を強く印象付けたのは、あの『世界の北野』の作品群。
世界の巨匠とまでいわれる北野武監督の下で個性的な役を演じ続けました。
インタビューでは日本代表に期待することや、注目のプレーヤーなどいわゆるサッカーのやり取りが続きました。
与えられた30分が過ぎようとした頃、筆者は少し意地悪な質問をぶつけることにしました。
あまりにも深い超一流の答え
「もしあなたがサッカー選手だったとして、トルシエ監督のような強烈なパーソナリティの持ち主の下でサッカーをしてみたと思いますか?あるいは逆にトルシエ監督が映画監督だったとします。その作品に役者として演じてみたいと思いますか?」
意外な質問だったのでしょう。
しばし沈黙があった後で、彼はニヤリと笑うと
「やってみたいねぇ」
今度はこちらが意外な答えに驚きました。
「どうしてですか?」
「映画の世界で監督と役者の関係はあなた色に染め上げてというような夫婦の関係じゃないんです。むしろ監督が要求することに対して、どこかで自分の色をちょっとだけ出して見せる。いわば相手の知らない自分が実はいる。愛人の関係とでもいうんでしょうか」
深い。
あまりに深い。
監督の色に染まった(要求を忠実にこなしている)ように見せながら、実は自分自身の個性を匂わせる。
それが超一流ということなのです。
芽が出ない選手
この取材の後で、筆者は知り合いのJリーガーにこの話をしました。
彼は鹿島などでプレーして、年代別代表の経験もある選手です。
「その言葉、メッチャ共感します。そうなんですよ。サッカーも同じ。いわれたことをやるんじゃなくて、そこで自分の持ち味をちょっとだけ出せるか」
筆者はこれまで取材してきた中で、自分の色にこだわり過ぎて結果的に芽が出なかった選手を沢山見てきました。
「自分のポジションはここじゃない」
まるでそういっているかのようにプレーする選手もいました。
代表に選ばれたものの、所属クラブとは違うポジションにコンバートされ、納得がいかないという顔をする選手もいました。
確かに選手がやりたいポジションもあるし、持ち味を殺してしまう監督がいることも事実です。
しかしそれもサッカー
要求された中で、仮に自分の持ち味と違ったとしても、取り敢えずは忠実さを見せながら、その中でチラリと個性を見せられる選手こそが、真のプロフェッショナルと呼べるのではないでしょうか?
先の俳優さんは先日亡くなりましたが、脇役でありながら、主役以上の個性を発揮したことで知られています。
サッカーには11のポジションがあり、全員がメッシのようになれるわけではありません。
その中で自分が何をできるのか?
監督の要求にどう応え、その上で自分を見せるのか?
文句をいって使ってくれる監督はいないのは、この世界の常なのですから、どうサバイバルするかも選手(役者)の能力ということです。