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いかにして未来の才能を守るか?減点法から加点法へ!

 
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中山です。

今回は南米・アルゼンチンの名門、リーベルプレートについてのお話を聞いてきました!

意外と南米のお話って少ないですよね?

違った視点でぜひご覧ください!

 

アルゼンチンの名門リーベルプレート。

今から10年以上前、来日中だった育成部門のおじいちゃん指導者と話をしたことがあります。

彼はアルゼンチン代表だったサビオラ、アイマール、オルテガなどリーベル出身の選手を幼年時代からずっと見守ってきた名伯楽です。

 

彼にある日本人指導者が質問をしました。

「どうしたら彼らのような選手を生み出すことができるんでしょうか?」

 

見守ってきただけ

「私がしてきたのはケガをしないように、見守ってきただけ。彼らのような選手はサッカーの神様が、地球上で『お前とお前』というように魔法の杖で頭をコツンと叩いた子供で、才能を生まれながらにして与えられた選手です。それを私はケガをさせずに上のカテゴリーに送り出しただけです」

 

と答えました。

 

するとこれを聞いた日本人指導者は 「それじゃ指導者としての夢がないです」

 

この会話はサッカー指導に対する根本的な考え方の違いを示唆していると思います。

日本人指導者は選手は指導し、育てるものだと理解しています。

 

一方南米の指導者は、選手は自然に出てくるものだと考えているのです。

これは文化の違いと言い換えてもいいかもしれません。

 

均質化を計ったきた日本

勤勉を旨とし、努力の上で全体の均質化を計ったきた日本に対して、極端にいえば突発的に生まれてきた天才を、そのまま天才として育てる南米。

背景には南米には日本では想像もつかないほどの競技人口群があり、その中で自然と競争に晒されてきます。

 

リーベルのようなクラブにスカウトされる選手となれば、日本の感覚でいえば『天才』と呼ばれるレベルの選手に近いのでしょう。

筆者は実際にアルゼンチンにいったことがありますが、サッカーにかける熱量が想像の域をはるかに超えていました。

リーベルの永遠のライバルであるボカのリベルタドーレス杯の決勝を観戦しましたが、観客はギュウギュウに押し込められ、そして90分間唄い、飛び跳ねていました。

本当にスタンドが揺れていましたね。

 

世界中でサッカーを見て、スペインではクラシコも何度も見たことがある筆者ですが、それでも南米の熱さはそれすら上回っていました。

こういう環境だからこそ、子供たちは自然とサッカー選手になりたいと願い、その道に進む。

運動能力の高い選手はみんなサッカーをする。

 

才能を大事にする

南米には貧困の問題もありますが、プロのアカデミーは彼らを厚遇します。

これはイタリアの話ですが、アカデミーで月謝を払うことはありません。

昔の日本の相撲は腹いっぱい食べることに困らないといわれ、親孝行したいという子供が門を叩きました。

 

極端にいえば、南米もそれが選手発掘のベースになっています。

当然そこから選ばれた選手は特別な能力を持っている選手たちです。

だからこそ育成する以上に 「ケガをさせないことだけを考えていた」 という考え方が通用するのでしょう。

天才を『依怙贔屓(えこひいき)』することも、才能に見合った平等という感覚が南米にはあるのでしょう。

 

逆に才能がなければバッサリと切られます。

これも当たり前のこと。

 

しかし日本ではそういうやり方は忌み嫌われます。

まずはみんなと同じ事が優先される社会だからです。

 

 

いかにして未来の才能を守るか

メッシは背が伸びないという先天的な病気を持っていたことで知られていますが、彼の才能を高く評価したバルサは治療を約束し、彼とその家族をアルゼンチンからバルセロナに移住させました。

ただあまりにメッシは小さかったので、絶対に無理をさせないように実年齢よりも下のカテゴリーでプレーしていた時期があるそうです。

 

いかにして才能を守るか。

 

先述したリーベルの指導者も 「(サビオラのように)小さい選手は、試合の残り15分くらいで途中出場させるようにしました。

先発だと相手がフレッシュな状態で、フィジカルで圧倒されることがあり、ケガのリスクも高まります。

しかしこの時間だと相手は疲れているし、選手本人も快適にプレーできて自信をつけることが可能です。

 

フィジカルに優れた選手に起こる飛び級

才能があるから飛び級という発想は充分に分かりますが、それはあくまでもフィジカルに優れた選手に許されることです。

育成年代の選手はフィジカルに様々な問題を抱えているケースが多く、選手にあった起用方法が必要だというのです。

 

特に南米に共通しているのは、ドリブラーはドリブラー、パッサーはパッサーという天性の部分を早くから見出し、それを将来のプレー像として練習を重ねていきます。

 

日本の場合はまずドリブルスクールにいって、来る日も来る日もドリブルというケースも見られます。

ドリブルしかしないクラブすらあります。

その素材の持ち味を活かすサッカー先進国に対して、出来ないのであれば努力でそれを克服して高みを目指そうという日本。

 

そのどちらが正しいというものではないかもしれません。

ただ選手の身体は資源であり、それは練習し過ぎることで枯渇するという考えの南米やヨーロッパでは、日本的な考え方は受け入れられないことは確かです(本人が楽しみでオフの時間にやる部分は別にして)。

 

減点法の日本

サッカーには16歳までに完全に身につけておかないと間に合わなくなる戦術的要素も多く、日本的なドリブルのみの練習は無駄とさえ考えられます。

ケガをしないようにとはいっても、そこの部分はしっかり教えられるのもサッカー先進国の特徴です。

 

同時に指導者が

 

「この選手はこれができないからダメだ」

 

と考えるのではなく

 

「他にこんなに凄いことができるんだから、足りない部分がプラスされたら、きっとスーパーな選手になるよ」

 

と考えることができるかどうか。

 

前者は日本の指導者に共通してみられる傾向です。

日本は減点法。いかに思考を加点法に切り替えられるか。

 

新しい風

ここ10年でサッカーは劇的に進化し、育成方法にも新しい風が吹き込まれています。

ただ何より大切なのは特別な才能を見出し、そしてケガなく上のカテゴリーに送り出すことです。

日本的な過剰なまでの練習を課すやり方を改めることができるかどうか?

果たして風穴を開けるような指導者が日本から出てくるのでしょうか?

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