川口能活選手が引退!ゴールキーパーの歴史を変えたゴールキーパー!
中山です!
先日、FC相模原に所属する川口能活選手が引退することを発表しました!
日本のゴールキーパーの歴史を作ったと言っても過言ではない川口選手の選手人生を振り返ってみたいと思います!
キーパーを始めた時期
実は川口選手は小学校3年生の頃にサッカーを始めたそうです。
ポジションも定まらなかったそうですが、小学4年生の頃に本格的にゴールキーパーになったそうです!
中学校では静岡県の東海大学第一中学校という私立中学校で、2年生・3年生と2度全国大会で大会優秀選手に選出されているそうです。
やはり早い段階でゴールキーパーを初めているということは、プレー面に大きなメリットといえると思います!
全国高校サッカー選手権大会で大活躍!
高校は名門清水市立商業高校、今の清水桜が丘高校です。
1年生時からゴールキーパーでレギュラーで活躍!
3年生には有名なPKのシーンがあります!
城彰二擁する鹿児島実業高校との準決勝でのPK戦は有名なシーンですね!
その後、前年度優勝校である、長崎県の国見高校に勝利、5年ぶり3回目の優勝を成し遂げています!
プロ入り後
プロ入り後はJ1の横浜F・マリノスに入団。
2年目より当時日本代表だった松永成立選手からレギュラーポジションを奪取!
当時の監督、ホルヘ・ソラリからの大抜擢。
世代交代も含め、ゴールキーパーの歴史が変わる一幕だったと感じています。
優勝がかかった大一番でのヘディングシュート
Jリーグサントリーシリーズの優勝がかかった大一番で、前線に上がり、ヘディングシュート!
ポストに当たるという不運なプレーではありましたが、攻撃的ゴールキーパーってここから始まったと思います!
この年ではヴェルディ川崎をチャンピオンシップで下し、年間優勝も成し遂げています。
自身も初タイトルであるJリーグ新人王に輝いています!
日本人GKで初の海外移籍!
日本人初となるゴールキーパーでの海外移籍を経験。
イングランド2部のポーツマスへ。
ここで大事だったのは語学の部分は大きかったみたいですね!
積極的に語学を学ぶことをお勧めします。
私自身も海外とのやりとりが増えて、英語をもっと勉強しておけばよかった〜
って思っていますw
地元のジュビロ磐田へ
海外でなかなか出場機会を得れなかった川口選手は地元静岡県のジュビロ岩手へ移籍しました。
4年ぶりにJリーグの公式戦に出場!
Jリーグベストイレブンを獲得もしました!
その後、FC岐阜→FC相模原と、渡り歩き引退を迎えます。
アトランタオリンピックでブラジル代表を破る!
川口選手が一気にブレイクしたゲームといえば、こちらのゲームでしょう!
僕の中で印象に残っているシーンは、前に出てフロントダイビングでブロックしている部分です!
最近はフットサル的なスタンディングでのブロックや、Xブロックが主流にはなっています。
ですが、僕はこのようにボールにしっかりとアングルを詰めて行うフロントダイビングでのブロックも必要と感じています。
ときには縦幅がほしい時と、横幅がほしい時があります。
それを何でもXブロックに頼っていてはストップできません。
注意しましょう!
圧巻のPK戦!
皆さんの記憶にも残っているでしょう。
大ピンチになった日本代表を川口選手が救ったPK戦!
いや〜興奮しますよね!w
ここぞという場面でのストップは川口選手の鋭い反応はもちろん、メンタルの強さが大きいですよね!
理想のゴールキーパーって?
ゴールキーパーの理想はもちろん、シュートを打たせないこと。
DFや仲間と連携してゴールキーパーが目立たない試合にできればいい。
しかし、それは現実不可能です。
もちろん、絶対ではありませんが・・・
厳しい試合になればなるほど、必ずゴールキーパーの出番が出てきます。
そのとき、川口選手のように、カリスマ性を発揮できるシュートストップができるかが求められています。
別にシュートストッパーになれって言っているわけじゃないんです。
今はキックだったり、足元の技術も求められています。
ですが、そればかり追い求めていて、ゴールキーパーの本質を忘れてはいけません。
ゴールを守り、ボールを相手から奪うことができるからこそ、初めて攻撃に転換できるのです。
そう言った意味では、川口能活選手の鋭い反応、激しいコーチング、そしてときには仲間を思いやれる心。
どれをとても素晴らしい選手だったと感じています。
長い間、お疲れ様でした。