選手選び、現場の本音。その基準とは?  

指導者は、よく『いい選手』という言い方をする。

「彼はいい選手ですよ」

指導者がそう話しているのを聞いた選手も多いでしょうし、実際そんな言葉を使ったことのある選手も沢山いるでしょう。

ではその『いい選手』というのは、具体的にはどういうことを指すのでしょうか?

 

いい選手って?

例えばメッシなら非常に分かりやすいと思います。

圧倒的な技術とスピード、左足の精度、そして得点力。

誰がもメッシのイメージをすぐに言葉にすることができます。

クリスティアーノ・ロナウドしかりです。

またGKであればドイツ代表のノイアーなどは具体性があります。

 

リベロとすら呼べる広い守備範囲。

最終ラインからのビルドアップを可能にする足元のテクニック。

2メートルに近い身長等々。

 

世界最高レベルの選手にはハッキリとした特徴があります。

 

チームに欠かせない選手

ただ一方でその特徴が捉えづらい選手でありながら、なぜか試合に出ている選手もいます。

例えばクロアチア代表でバルサでプレーするラキティッチもそういう選手かもしれません。

中盤の選手ですが、彼は代表の同僚であるモドリッチや、バルサのかつてのチームメイトであるイニエスタのような足元の技術やプレーメイクの能力はありません。

 

しかしチームに欠かせないひとりであることは先のW杯やバルサの試合でも証明されています。

世界のトッププレーヤーでも様々なタイプの選手がいるのです。

 

ある2人のゴールキーパーの雰囲気

ここからはかつての取材に基づくJリーグでの話になります。

実はJのある指導者にこんな質問をしたことがあります。

 

1990年代の話です。

「浦和には土田尚史と田北雄気の二人の同等レベルの力を持った選手がいますが、どうして土田が起用されていると思いますか?」

 

するとその指導者は 「雰囲気」 と答えました。

雰囲気?どういうことなんでしょうか?

 

「多分、GKの技術的には田北のほうが上だと思いますが、ゴールマウスを守った時に相手のFWがどちらのGKを嫌がるかって意味です。その雰囲気が田北にないわけではないですが、土田のほうがより強いんだと思います」

 

プロのレベルですら、こういう要素がすごく重要なのだと思わされました。

以前もあるJリーグのFWが日本代表経験のあるGKを指して 「あの人がゴール前にいるだけで、シュートコースがないって感じてしまいます」

当然そこにはGKがシュートコースを消すために、前に出てFWにプレッシャーを掛けていることもあるのでしょう。

 

「それもそうなんですが、PKの時ですら同じ感じがするんですよね」

と、苦笑いをしていました。それが『雰囲気』ということなのかもしれません。

 

全国的に知られた選手ではない

これはGKの話にとどまりません。

後に日本代表となり、W杯にも出場したことのある加地亮(東京、G大阪など)がまだ高校時代のことです。

 

彼をJリーグのクラブが獲得しました。

担当だったスカウトに

 

「彼を獲得した理由は何ですか?」

 

「初めて私が彼のプレーを見た時のファーストプレーで、私がこうであって欲しいというボールの持ち方を彼がしてくれたことです。そこで『おっ!』ってなって、その後彼をマークしていくことになりました」

 

当時彼は決して全国的に知られた選手ではありませんでした。

しかしメキメキ頭角を現し、その後U19日本代表に選ばれ、一気に日本代表のまで駆け上がっていくのです。

 

筆者の記憶では決してJリーグの何チームもが競合して彼を獲得競争をするレベルではありませんでした。

そのスカウトの目利きがどれほど優れていたかということになると思います。

 

ここまで読んだ方は、何かすごく漠然とした話と思うかもしれません。

実際筆者も同じことを感じました。

 

エモーショナル(感情的)な部分

しかしサッカーの世界では選手の能力を測るうえでも、すごくエモーショナルな部分があります。

先の加地選手のボールの持ち方も、別のスカウトが見たなら、まったく違った印象を受けたかもしれません。

同様に今でもいい選手とそうでない選手の選別は、かなり主観に寄った基準で決められていることは間違いありません。

 

近年ではトラッキングデータが、選手の動きをかなり細かく分析されるようになりました。

それでも基準は指導者やスカウトが実際にその目で見た印象なのです。

 

絵になる選手

では私の場合はどうか?

実はひとつの基準があります。

それはボールを足元に置いた時、一枚の絵のように収まる選手がいい選手です。

世界のトップトップの選手は押しなべて、一枚の絵として額に入れて飾れるほどボールとの関係性が自然に『雰囲気』として伝わってきます。

片方の足をボールに置き、両腕を腰に。

 

それだけでいい選手はスッと絵になるのです。

ずっとそれがいい選手のひとつの基準だと思っていますし、今もそれは変わりません。

その意味でラキティッチは実に一枚の絵に収まりがいい。

やっぱり彼は『雰囲気』を持っているのです。

もちろん人それぞれに意見があってもいいと思います。

 

偉大な例外

ただ選手としてはその漠然とした『雰囲気』を理由にしてポジションが決められているとしたら、割り切れない気持ちも強いでしょう。

しかもその『雰囲気』は生まれながらに持っているもので、なかなか手に入れられるものではないのですから。

でもそういう意味で偉大な例外があるから安心してください。

 

その例外とはカズ

 

決して彼は生まれながらにしてその『雰囲気』を持っていた選手ではありません。

しかし努力に努力を重ね、その高みに立った典型的な選手です。

今や彼が放つオーラは、多くの人の心を捉えて離しません。

 

家を一歩出れば『キング』として振る舞う

よく生まれながらの才能か、それとも努力かという議論がありますが、そのどちらでもあると思います。

 

家を一歩出ればキングとして振る舞う。

 

最初はカズも意識していたようですが、それが当たり前になれば、自然と『雰囲気』も身にまとうことができるのかもしれません。

 

あなたがどちらのタイプかは関係ありません。

『雰囲気』があろうがなかろうが、努力を重ねて高みを目指す。

それだけなのかもしれませんね。